S11(S10) シルビアとマイナー旧車

S11シルビアについて

「シルビアの中でマイナーなのは?」と聞かれると「S14前期」と答える人が多いと思いますが、そんな話題にも上らないもっとマイナーなシルビアが二代目シルビア(S10,S11)です。いや、シルビアの中だけではなく、国産車の中でも有数のマイナー車だと言えるでしょう。そんな超マイナーなシルビアを紹介します。

なお、いくつかの写真はクリックすると大きな写真が表示されます。
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歴史

初代シルビア(CSP311)

初代シルビアの写真初代シルビア(CSP311)は1965年4月、フェアレディー(SP311)のシャーシとエンジンを元に、2人乗りのクーペボディーを乗せ、欧米のスポーツカーに勝るとも劣らない当時最高の技術を注ぎ込んで発売されました。その熟練した職人による継ぎ目のない美しいボディーと、最高レベルの高速性能(ハイウェイパトカーにも制式採用されました)で人気を博しました。
セミハンドメイドで製造され、アルミ削り出しフロントグリル等手が込んでいたため値段が高く(当時フェアレディーの93万に対し、シルビアは120万円。大卒平均初任給が7万円)、そう簡単に買える車ではありませんでした。
そのためかどうかはわかりませんが、1968年6月、わずか3年で生産終了。

余談ですが、この車は計画段階ではリトラクタブルライトを採用する事になっていました。もし実現していたら日本初だったのに。結局トヨタ2000GTが日本初でした。
また、この車のデザインはドイツ人のアルブレヒト・ゲルツによるものだというのをよく見かけますが、正しくはゲルツからアドバイスを受けながら日産の木村一男がデザインしたというのが本当のところのようです。(この部分は三妻自工Blogより引用しました。このブログには興味深い話がたくさんあります。是非ご一読を。)

S10シルビア誕生

S10カタログ写真その後1975年10月、7年のブランクを空けて二代目シルビア(S10)が登場。
この二代目シルビアの正式名称は、「ニューシルビア」です。もちろん30年経った今でも、この車は「ニューシルビア」です(笑)。後の事は考えなかったんでしょうね。

サニーのシャーシをベースに、その当時開発中だったロータリーエンジンを搭載(レシプロエンジンをシルビア、ロータリーエンジンをガゼールとする(その逆だったかも)予定だったとか)する前提で開発されましたが、オイルショックで計画がボツになり、急遽ブルーバードのエンジンを搭載して発売されました。なお、ガゼールの車名は次のS110まで保留されました。

プレリュードなどの本格的スペシャリティーカーというジャンルの草分け的存在(日本初のスペシャリティーカーは、1962年発売のスカイラインスポーツ、また初代シルビアですが両車とも完全な量産タイプではないというちょっと特殊な為、現在では初代セリカが日本初だと言われています。)のひとつと言えば聞こえはいいのですが、前述のようにシャーシは210サニーから、エンジンやパワートレーンは結果的には610ブルーバードからの流用となっており、はっきり言って寄せ集めの車でした。
ですがボディーは当時の日産車の流れを汲んでいる中でも非常に個性的で、前衛的だったと言えるでしょう。

型式変更(S11)

1976年5月、51年排ガス規制に伴い電子制御燃料噴射システム(EGI)搭載のL18Eエンジンを追加し、型式がS11となりました。

マイナーチェンジ

S11シルビアの写真1977年8月、マイナーチェンジ。
美しかったメッキバンパーの四隅に野暮ったくてでっかいゴムが付き、フロントグリルの形状が少しスマートに変わり、そして最上級グレードのタイプGが追加されました。

S11シルビア生産終了

そして1979年2月、たくさんの人に惜しまれて、いや、少数の人に惜しまれて生産終了。
歴代シルビアの中で、初代に次ぎ2番目に短命でした。やはり売れなかったので見切りを付けられたのでしょうか。

この車の不人気さは時代の流れが大きく関わっていたと思います。
その先進的なフォルムも当時には早すぎて受け入れられなかったのでしょう。そしてオイルショックによりロータリーエンジンはボツになり、それに加えて公害問題による排ガス規制でNAPSというデチューンエンジンとも言えるシステムを搭載され、まさに生まれた時代が悪かった不運の車と言えるでしょう。

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エクステリア

ボディー形状

S10シルビアのボディー形状は、当時の日産車の特徴である610ブルーバード、710バイオレット、210サニー、ケンメリスカイラインで見られるファストバックスタイルの流れを汲んでますが、ハコスカよりも四角でタイヤまでかぶったリヤフェンダー、彫りの深いフロントマスク、サイドまで回り込んだ独特のテールランプ形状により、それらの車とは一線を画した形になってます。この形により、「UFOシルビア」、「はまぐりシルビア」等と呼ばれ、人によって好き嫌いがはっきりと別れる車でした。
私は前述のテールランプに加え、サイドのサーフライン、逆アールの(簡単に言えば凹んでいる)ボディーなど凄く個性的でかっこいいと思いますが、私の周りでは私以外にこの良さが分かる人はいません(笑)。

なお、この2ドアクーペという形は、最終型のS15まで続きました。

運転視界

邪魔なルームミラー↑運転手の目線から見た左前方。ミラーがかなり邪魔で、上り坂では左から来る車が見えません。(純正ミラーは腐食がひどい為ワイドミラーを付けてますが、下端の高さは純正と同じです。)

ただ、デザインに凝りすぎた為か運転する際の視界の確保はかなりイマイチです。運転席に座ると、座面が高い上に天井が低くてフロントウインドウの上下幅が狭い為、左前方の視界にルームミラーが入ってしまい邪魔です。それにケンメリ、チェリーに負けないぐらい斜め後ろが見えません。その為バックは非常に難しいです。

結局、外観と中身のバランスが悪かったのか…

結局、その好みがはっきりと分かれる独特なボディー形状、見た目スポーツタイプなのに平凡な運動性能、そして値段の高さ(最低グレードで当時105万円、大卒初任給が8万9千円程度)により、かなりの不人気車となってしまいました。

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インテリア

室内の広さ

室内は現在の車と比べると非常に狭く、運転席に座ると右腕の自由があまり取れません。最近の軽自動車の方が広いぐらいです。

上下の広さも、かなり狭いです。身長175センチの私でも頭が天井に付きそうになります。もっと背が高いアメリカ人は頭に当たったまま運転していたのでしょうか。

シート

シルビアのシートシートは独特な形状をしてます。ヘッドレストが背に埋まり込むような形の上、座面の幅が狭いので汎用のシートカバーは取付けできません。当時のシートにサイドサポートがある訳はなく、ホールド性はちょっと前のセダンのシートと同じぐらいですが、だからといって座り心地がそれほど悪いというわけではありません。

また、シートレールが取付けてあるフロアーに段差があるため、レカロなどのシートを付けようとするとかなり座面が上がり、頭が当たって運転できなくなります。ですからシート交換は非常に難しいです。

インパネ等

メーターパネルメーターパネルは左右対称の4連メーターで、当時は宇宙船のコクピットみたいだと言われました。個人的には、このメーターパネルはS30Zの次にかっこいいと思います。

装備

装備は当時としては豪華で、最上級グレードのタイプGにはパワーウインドウ、間欠ワイパー、アームレスト付センターコンソール、フロント合わせぼかしガラス、カセットステレオ、そしてアルミホイール(スペアタイヤ用を含む5本)が装備されてます。
またオプションですが、クーラーではなくセンター組込エアコンが付いてます。

ガソリンスタンドなどに行くと、やはりパワーウインドウが一番驚かれます。

それとは別に、私の車にはリモコンドアロックリモコンエンジンスターターを付けています。^^;

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性能等

エンジン

最初(S10)はL18シングルキャブエンジン(105ps)のみでしたが、排ガス規制に伴い(S11)NAPSエンジンが採用され、電子燃料制御EGI搭載のL18E(115ps)が追加されました。当時の日産のスポーツタイプに付いてたSUツインキャブの設定ははありませんでした。
このNAPSエンジンは性能が悪いと評判でした。

パワートレーン

ミッションは4速及び5速MTと、3速ATの3種類でした。この5速MTはポルシェタイプで、左上がR、左下が1速になってます。型は63で、ブルーバードやケンメリ、ジャパン、210及び310サニーと互換性があります。

またデフに関しても、ケンメリ等と同じH165B並歯型で、これもいろんな車と互換性があります。

ですが部品取りにしようと思ってもシルビアより相手の車の方が人気があるのでなかなか手に入りづらく、厳しい状況です。

足回り

サスペンションは前がストラット、後ろがリーフです。

前のスプリングはP810ブルーバードのが使えることは判っています。(バネ長を気にしないならですが^^;)
ショックは前がカートリッジ式になってます。これのサイズや互換性に関してはメンテ・修理他の項にて説明しております。

この車の整備について

この車のエンジンはL型4気筒のL18Eエンジンが載っています。これは51年排ガス規制対応のNAPSと電子燃料制御EGI仕様のL18エンジンです。このエンジンはブルーバードやスカイラインにも搭載されています。
エンジンは基本的にL型エンジンでしたら殆ど整備方法は同じで、補機類に関しては流用できる物が多いです(EGI関係も同じ)。
4気筒と6気筒で部品が違う場合もありますが(EGIコンピューターなど)、それでも気筒数が同じでしたら排気量に関係なく部品は共通です。

ですから、エンジンやその他補機類、EGIなどは他の日産旧車の部品が流用できる事が多いのです。ここが日産の旧車オーナーにとっての利点です。
ただ内装や外装部品となると、このシルビアに関しては最悪です。まず殆ど在庫はありません。スカイラインやZなどでしたら販売台数も多いので在庫がある場合がありますが、この車は販売台数が少なかったのであまり部品も生産されなかったのでしょう。

この車を整備するには

が必要です。
ですが他にも

があると便利です。

整備関係の本たちあと足りないのはS10のサービス周報とミッション整備書ぐらいです。

私は何とか殆ど揃えましたので、ご希望の方にはコピーを差し上げます。
またパーツリストに関しては、日産(プリンスはありませんが)の旧車の殆ど(スカイライン、ブルーバード、Z、サニー等)が載っている物を持っていますのでこれも連絡を頂ければコピーを差し上げます。

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その他

名前の由来

このシルビアという名前は、ギリシャ神話に出てくる乙女の名前から付けられました。これはラテン語で森という意味だそうです。

なお、元々「シルビア」という名前はホンダが商標を所有してましたが、日産が譲り受けたという事です。
(日産とホンダの間で「シルビア」と「プレリュード」の商標を交換したという話もありますが、ホンダはプレリュードの商標をトヨタから譲り受けたというのが本当のようです。)

パンフレットのモデル

パンフレットの写真前期のパンフレットに出てくるモデルは、シルビア・クリステルという女優です。シルビアつながりという事で起用されたそうです。映画好きの人は知っているかもしれませんが、このシルビア・クリステルという人はあの有名な「エマニエル婦人」の主演女優です。

型式番号の不思議

外観は全く変えず、エンジンを51年排ガス規制に適合させ、EGI搭載エンジンを追加しただけでS10→S11と型式名を変えたというのは非常に珍しいと思います。しかも次の年のマイナーチェンジ時にはそのままだし。
そのせいか次に出たシルビアの型式はS110と3ケタになるハメに。その次のシルビアはS12となったので、混乱しやすいところです。
実際、S10とS11をまとめてS10、S110をS11だと思っている人も多いみたいです。私が「S11シルビアに乗ってます。」と言うと、「ああ、S13の2つ前だから、あの角目4灯のシルビアね。」と言われることがよくあります。

これは私個人の考えでは、51年排ガス規制に適合させた際に型番を変える必要があり、一の位の数字を変える事にして(日産の他の車も同時期に一桁目が変わってます)、次のフルモデルチェンジの際は十の位の数字を変えるつもり(次の予定がS20)だったのではないかと思います。ですがその後、マイナーチェンジでは番号を変えず、一の位の数字で型式を表すように方針が変わったのではないでしょうか。

↑2009年7月、Club US110のHIROさんからご指摘を受けました。

当時の日産の型式は初代が2桁、2代目からは百の位が一つずつ増えるようになっていたようです。
ですからシルビアは(初代のCSP311は別として)S10→S110→S210→S310となり、マイナーチェンジの際は一の位が増える予定になってました。
ですが昭和55年頃に方針が変わり、マイナーチェンジでは番号を変えず、アルファベット+二桁の数字になりました。それがちょうどS110とS12の間だったため、このように複雑に見えるようになったみたいです。
Club US110のHIROさん、ありがとうございました。

参考資料:「日産モデルチェンジの歴史」

いずれにせよ、このS11と次のS110が紛らわしいのは間違いないです。

グッズの数

チョロQの写真この型は歴代シルビアの中でもトップクラスの不人気車(妙な日本語)であったにもかかわらず、ミニカーやプラモデル等が一番数多く作られた車でもありました。
今でもチョロQはよく見かけますね。おかげで”S10シルビア”で検索すると、検索結果の7割ぐらいがチョロQです。

プラモデルに関してはJokerさんがプラモデルのページで詳しく調べていらっしゃいます。

生産台数

S10は1975年10月から、S11は76年5月から生産が始まり、私の車は78年7月で、車台番号が32500番台です(S11になって車台番号が1にリセットされました)。それから推察すれば月産2500台ぐらいだと思われます。
前述の様に75年10月から79年2月まで生産されており、最初と最後を少し差し引いて正味40ヶ月とすれば、S10とS11合わせて合計約10万台生産された事になります。これは多分輸出分も含まれていると思いますが。

↑2008年6月、CLUB US110 No.09さんから資料を頂きました。それによると、
A-S10型は
1975年: 300101〜310765、1976年: 310766〜316307で 計16,207台
B-S11型は
1976年: 000001〜021911、1977年: 021912〜034095、1978年: 034096〜037685で 計37,685台
合計53,892台だということが分かりました。 私の予想と全然違いますね。^^; 
ちなみに私の車は初年度登録が1978年7月ですが、生産されたのは1977年だということが判りました。半年以上も売れ残っていたのでしょうか。
CLUB US110 No.9様、資料有難うございました。

しかし超不人気車だった為か、550台ぐらいしか生産されなかった初代シルビアより現存する車は少ないようです。ある意味レア車ですね。

北米仕様

北米仕様シルビア1979年公開のアメリカ映画「サン・バーン」で、主役のファラ・フォーセット(当時はファラ・フォーセット=メジャーズだったかな。初代チャーリーズ・エンジェルのメインで、凄い人気でした)が乗ってました。元々輸出を視野に入れて開発されており(ヘッドライトが丸形なのも、当時のアメリカの流行を考えての事だそうです)、北米輸出モデルはL20Bエンジン(2000ccなのにL18と同じ直列4気筒)を搭載して200SXという名前で販売され、割と売れたようです。ただフロントグリルがゴツい感じで、バンパーも5マイルバンパーという、かなり大きなバンパーが付いてます。
個人的には、フロントグリルはかっこいいと思いますが、このバンパーはいただけません。

この写真では、ちょっと310サニーに似てますね。

エアコンについて

エアコンのパネルこの車のエアコンは、「クーラー」ではなく「エアコン」と言うぐらいですから除湿も出来ますが、現在の車と比べるとちょっと変わっています。
まず吹き出し口ですが、ダッシュボードの左右にある吹き出し口はエアコンと全く連動してません。吹き出し口の下の方のレバーを下にに引っ張ると走行中に外気が入ってくるだけです。
またエアコンの操作も今とは違って、上の吹き出し口切り替えレバーを一番左の”クーラー”にするとエアコンのスイッチが入ります。そしてその時のみ外気から内気循環に変わります。要するに、冷房も除湿暖房も内気循環で、風はセンター吹き出し口からだけ出てきます。ですから冬に暖房中窓が曇ってきてエアコンの除湿暖房に切り替えても、足下や窓の所からは全く風が出ず、センターから出てくるのです。その辺りがちょっと使い勝手が悪いですね。
私は煙草を吸うので、内気循環だとエアコン内部に臭いが付いてしまいます。ですからエアコンを使っている時は吸うのを我慢してます。非常に不便ですので、そのうちエアコンも外気で動く様に改造するつもりです。
煙草をやめた方がいいのかもしれませんが、その選択肢は私の中にはありません(笑)。

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